disagio’s blog

ひとりごと

憧れなのかエゴなのか

自己紹介の通り、私は教職を志している。

 

これには中学の経験が大きく関わってきている。

それと同時に私の呪いでもあるので、早々に吐き出してしまおうと思う。

 

 

大好きな先生がいた。生徒と一緒に笑ってくれて、泣いてくれるような先生だった。

教え方も上手くて、分からないところはその場でぱぱっと教えてくれて、後でわざわざ補足の説明を書いた紙をよこしてくれるような先生。

でも、どこか一公務員としての距離感をしっかりと線引いていて、時には冷たさも感じた。

それでも私はその冷たさが心地よかったから周りの子が言うほど気にはならなかったし、むしろそこも含めて大好きだった。

 

考え方にも柔軟性があった。

その先生は、否定を決してしなかった。

「そういう考え方もあるの、おもろいやん!なんでそう思ったん?」から入り、思考力を伸ばしてくれた。同じ方向に向かせようといった同調圧力を嫌う人だった。

良くも悪くも皆で一致団結!てっぺん目指そうや!(これは本当にあった)のような画一化の雰囲気のある学校に合ってなかった。授業もそのやり方で進めるせいで、とっちらかってて面白かった。こうなりたいと初めて思えた。

 

私が教職を志すのは、ほとんどこの先生の影響だと思う。

 

そしてもう1つ、むしろこれがメインなのだが、中学の生活そのものである。

 

私は吹奏楽部に所属していた。

部活には、変な先輩がいた。胃が弱くて変わり者でちょっと頑固で、ずっと鼻歌なり楽器なりで音楽を奏でていた人だった。一時期は5秒黙ると死んでしまうのかもしれないと本気で思うくらいずっと何かのメロディーに乗ってた。

本番前に自作のプリントを配ったり独自のテストで後輩を育てたり、凄かった。超憧れた。

そして本当に頭が良かった。成績ももちろん抜群に良かったと思うが、考え方や視点が中学生とは思えなかった。話しててめちゃくちゃ楽しい反面ちょっと怖かった。唐突にあいうえお作文を始められた恐怖をまだ覚えている。

それでも1番記憶に残って離れないのはその人だし、鮮明に思い出せる。好きだった

中学の生活を、その人の影を追いかけて今もその人がとうに辞めた吹奏楽を続けてしまっている。ギターを必死に練習している。勉強しろや。

 

教育に携わりたいのも、中学でその面影を探そうとしてしまっているからかも知れない。

 

憧れたあの先生のように、生徒に寄り添いたい、教えたいと思うと同時に、自分のエゴによる邪な思いを持ったまま就いていい職業じゃない葛藤が、今も呪いのように絡みついている。願わくば早く忘れてしまいたいが、忘れるにはあまりにも惜しい財産なのだ。

 

未だにどうしたらいいのか分からない。

あと家に借りたギターの教本があるのがすごく気になるから早く返したい。